2010年06月30日

20年前の一人旅J ハンガリー ブタペスト

1990年6月30日

昼頃 ブタペスト西駅に 到着、まずは駅内にある 国営旅行会社イブスへ

ハンガリーは東側だが、ウイーンよりも場所的に西あるし、ユーレールパスも使える。そんなわけで プライベートルームも安いしサービスがよいと評判だ。

午後についたので、駅の近くは なく、トラムの10番へ行き、住所を書いた紙を運転手に見せろと、イブスで言われた。

7月2日まで ブタペストを満喫する予定。

*予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月29日

20年前の一人旅I ユーゴ ベオグラード

1990年6月29日

今日は まず ハンガリーのビザの申請をしたので、それをもらいに行かなければ。

夜 22時15分の汽車でブタペストへ移動しようとしたが、 時間になっても来ない?

結局こない。しょうがないので、駅のホームで 寝袋で寝た。 ユーゴの人々も けっこうそうやって、ごろごろ 寝ていた。

今から考えると けっこう危険な ことだったが、無事でよかった。


*予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月28日

20年前の一人旅H ユーゴ ドブロブニク

1990年6月28日

ドブロブニク 2日目


午後からまた バスで ベオグラードへ。
(現在クロアチアと セルビア、ボスニア・ヘルセゴビナと分断されたため このルートはないと思う。今だったら ドブロブニクからサラエボへ行き、セルビア人バスターミナルまで行き、そこから ベオグラードへ行くことになる。98年 そのルートを使ったことがある)

夜遅く着いたが、 前より 予約してあった ユースホステルへ泊まった。


予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。 
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2010年06月27日

20年前の一人旅G ユーゴ ドブロブニク

1990年6月27日

朝 ベオグラードからのバス。起きたら なんか雰囲気が違う。
どうも乗り過ごしたようだ。

バスで20分ほど 戻ったら、ドブロブニクのバスターミナル。
有名な旧市街からは少し離れた場所にある。
バスを降りると 客引きのおばあちゃんが。
こちらはプライベートルームがあり、そのおばあちゃん 日本人と見ると 結構強引にうちへこいという。 日本人は綺麗に使ってくれるから 好きだと。
根負けして、おばあちゃんのプライベートルームへ。

予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月26日

20年前の一人旅F ユーゴ ベオグラード

1990年6月26日

朝 ソフィアから ユーゴスラビアの首都 ベオグラードへ

まずは ハンガリーのビザを取らなければ。

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2010年06月25日

20年前の一人旅E ブルガリア ソフィア

今晩も 夜行列車なので、朝はチェックアウトぎりぎりまで ホテルで過ごす。

花売り
<近所の屋台 花売りなど>
朝昼食は 近所の屋台で ヨーグルトとサクランボ。
サクランボをくれと言ったら、1キロくれそうになるので、多いので半分の500g もうう。 それでも一人では食べるのが大変。

その後 荷物を預けて、ふたたび 町へ。

聖ソフィア教会と無名戦士の墓
<聖ソフィア教会と無名戦士の墓>

この 6世紀の教会の名前が この都市の由来になった。

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たぶん 劇場?

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<ソファア大学>

そして適当に夕食を取り、ソフィア中央駅のソファーでくつろぎ、夜遅くのバルカンエクスプレスに乗って、一路ユーゴへ。

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<チケットの裏書き>
ブタペストまでの通しのチケットなので、その都度 裏書きされる。


その当時の状況はよく覚えていないが、やはり国境で停止して、パスポートコントロールが 2回あったようだ。

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<ユーゴスラビアのスタンプ>

当時 ビザなしで 入国できた。
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2010年06月24日

20年前の一人旅D ブルガリア ソフィア

早朝、ソフィア中央駅に到着。
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<ソフィア中央駅>
深夜に起こされたので、眠いので、とりあえず駅で旅行会社が開くまでうとうと。
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<宿泊したホテル>
駅で両替して、旅行会社で今日一泊するホテルを紹介して貰う。
たしか プライベートルームもあったようだが2泊以上でないと宿泊できないと言われた。闇両替もできなったような?

シャワー付きのシングルルーム。
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とりあえずシャワーを浴びて、近所のレストランで昼食後、ソフィア観光

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<旧共産党本部>
やはり赤い星ですね。実はこの赤い星 30キロのルビーだそうで、現在はありません。91年 ソ連がヘリで持ち去ったようです。
どのぞのマフィアに売り飛ばされたか?東欧の中で一番親ソ連だったブルガリア。
しかし1985 ソ連にゴルバチョフ書記長が誕生。1988年3月「新ベオグラード宣言」(ソ連は内政干渉しないので、各国独自の社会主義をしてよい)により、東欧革命が加速。 1989年11月9日ベルリンの壁崩壊後の1989.11.10に35年政権を握っていたジフコフ共産党書記長が辞職した。しかし大きな混乱はなく、共産党内部から 迅速に改革がおき、90年2月には共産党は自発的に一党独裁体制を放棄し、党名を「ブルガリア社会党」。その当時は知らなかったが、ちょうど自由選挙が行われた直後の訪問だった。 

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<聖ゲオルギ聖堂>
4世紀に出来たバルカン半島で最古のキリスト教聖堂

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<地面からは 屋根しか見えない聖ペトカ地下教会>

14世紀のオスマントルコ支配時に建造されたので、イスラムに遠慮して半地下なのか? ブルガリア正教の教会。その後ろに レーニン像が見える

1991年に 撤去されて、広場になったようだが、2001年にソフィア象が建ったようです。

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<左手前のビルがディミトロフ霊廟 兵士が立っている>
とくにおもしろかったのは、エバーミングされた、初代ブルガリア人民共和国大統領。ブルガリア建国の父ゲオルギ・ディミトロフ霊廟で なかには兵士が警備する中、青白いライトに照らされた、元首が斜めに横たわっていた。立ち止まってゆっくり見ることは出来なかったが、死んだ人間を防腐処理して、見せるというのは社会主義だけの方法で、神を存在させない代わりに、亡くなった指導者をそのままの姿で 祭り上げることで、見える神の演出なのだと思う。

エンバーミングは レーニンが有名で、

* ウラジーミル・レーニン(ソ連)
* ゲオルギ・ディミトロフ(ブルガリア)
* チョイバルサン(モンゴル)
* ヨシフ・スターリン(ソ連)
* クレメント・ゴットワルト(チェコスロバキア)
* ホー・チ・ミン(ベトナム)
* 毛沢東(中国)「
* アゴスティニョ・ネト(アンゴラ)
* フォーブス・バーナム(ガイアナ)
* 金日成(北朝鮮)
などが社会主義の ある意味 偶像崇拝だった。

このうち レーニン「レーニン廟」、ホー・チ・ミン「ホー・チ・ミン廟」、毛沢東毛主席紀念堂」、金日成「錦繍山記念宮殿」だけが、今も保存されている。 
防腐処理されたレーニンの遺体と、その遺体のメンテナンスの様子はこちらのサイト**グロテスクな写真あり**(

この霊廟も 91年には廃止され、蛇尾に服されたようで、霊廟も取り壊され、現在は公園になっているという。
かろうじて社会主義の遺物を見ることが出来たのは貴重だった。

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<アレキサンドル・ネフスキー記念教会>
バルカン半島最大で、5000人を収容する寺院

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<ネフスキー記念教会の内部>

夕方 暗くなって、夕食を食べにレストランへ

まあ物価が安かったので、ビートルズのカバーバンドが演奏している、レストランでブルガリア料理食べ、ビールを一人で乾杯。 

でもどうもイスタンブールでの仲間でわいわい楽しんでいた時とは違い、どこへ行くのも、食事をするのも一人。一人旅なのだから当たり前なのだが、いきなりホームシックになった。
しかも 深夜列車の揺られた夜なので、ちょっとうとうとしていると、頼んでもいないのに、コーヒーがサーブされた。
どうして?とウエイターに聞くと、あちらの方からと 4人組の男女のブルガリア人がおごってくれた。
軽くお礼を言って、持っていた折り紙で鶴を折り、女性二人に渡すと、喜んでくれて、遊びに来いという。

お互い片言の英語で意思の疎通も、あまりままならないが、うれしい出会いについて行く。

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<蛇遣いのブルガリア人のお部屋で>
動物園で 蛇の飼育係をしている男性のお部屋。
300匹以上の蛇が水槽の中にいる。

ふつうの国なら ちょっと危ないので、ついて行かないが、東欧はまだ安心な時期でした。
社会主義の場合 仕事よりも 西側の人間に興味があるので、よくつきあってくれます。
ちょうど 民主化へ向かって、外国人に興味があったようだ。

非常に寂しい思いをしたあとに、とてもすばらしい出会いで 楽しいブルガリアの思いで。
結構遅くに、ホテルまで送ってくれました。
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2010年06月23日

20年前の一人旅C イスタンブール


6/23 1990
今日はイスタンブール最終日。

朝はゆっくりして、昼食は じゅうたん屋のトルコ人が一緒に食べようというので、トルコ料理レストランへ。
いろいろあったが、彼らがいたことで初めての旅は非常に楽しく愉快な旅路で、イスタンブールは大好きな町になった。

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<グランバザール>

夕方、イスタンブール・シルケジ駅へ。
列車の中で食べる、食料とワインを買って、列車に乗り込む。

国際列車バルカンエクスプレス
イスタンブール ソフィア間は簡易寝台クシェットで、個室に4人が寝れる二段ベットになっている。一緒になったブルガリア人家族がいろいろご馳走してくれた。

暗くなってから 二段ベットの上でほろ酔い気分で熟睡。
ほどなくして、列車が止まっている。どうしたことかと思っていたが、しばらくして国境警備の係官がパスポートをチェック。トルコは出国なので、簡単にちらっとみてスタンプを押してくれる。
その後五分ほど走ったらまた停車。
今度は 駅舎のようなところへみんな行く。
その流れに従って、ついていくと、外国人は専用の窓口へ。

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<ブルガリアのビザとスタンプ>
ブルガリアのビザは日本でもらったので、それだけ確認して、すぐにスタンプを押してくれた。はじめての列車での国境通過は時間はかかったが、それなりにすんなり通過出来た。
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2010年06月22日

20年前の一人旅B イスタンブール

6月22日 1990 
イスタンブール

今日は朝からガラタ橋へ。
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フェリーに乗ってアジアへ

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イスタンブールはヨールッパとアジアの接点で、主要な地域はヨーロッパ側にあり、ボスポラス海峡を経て、アジア側はアパートが多いようだ。写真は市場 活気があった。


またフェリーで戻り、ガラタ橋の近くで、鰯のサンドイッチで昼食。
午後イスタンブール駅へ。

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ブタペストまでの列車のチケットを購入。
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いくらだったかは覚えていないが、それほど高くなったような?
チケットを見ると 120,100トルコリラのような!?

どうやら 1円が当時 15リラのようです。
だから8000円くらいかな。
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2010年06月21日

20年前の一人旅A イスタンブール

20年前の一人旅A
6月20日 早朝 クアラルンプール着
イスタンブールへは 夕方の出発なので一日観光ができる。
町中を見て 夕方空港へ。 夜のフライト。


6/21イスタンブール
やはり早朝に到着。バスで中心地まで移動。
何人か 日本人もいる。
南回りのいいところは 大概朝につく便が多い。一日あればホテルも探せると思い事前に予約はせずに、現地入りをした。
とりあえずバックパッカーのバイブル「地球の歩き方」の宿を目指していたが、バスで一緒だった日本人とブルーモスクの前に半紙をしていると、案の定トルコ人が日本語で話しかけてきた。
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「もじゃもじゃ頭のトルコ人と 一緒だった日本人旅行者と。もう一人のトルコ人が撮影」

「トルコのじゅうたんはいかが?おみやげに最適よ」と。
じゅうたんなんか眼中にないが、見るだけでいいし、お茶飲んでいけばということで、とりあえず見に行く。
トルコ人いわく トルコのじゅうたんが一番品質がよいとのこと。
でもぜんぜん興味がないので、お茶だけごちそうになり、行こうとすると、ホテルも手配してやるというので、とりあえず一緒に見に行くことに。
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質素なシングルルームだったが、屋上からブルーモスクとアヤソフィアそして後ろにはボスポラス海峡(写真のように)が見える。
値段は覚えていないが、たぶん20ドルくらいかな。トルコでは高いのだろうが、最初のホテルなので、そこで2泊することにした。

その後 お昼も一緒にとトルコ人に誘われる。もう一人の日本人が女性だったこともあり、サービスなのか?、暇なのか?、商売上手なのか?
でも一般の人が行きそうな大衆レストランでのトルコ料理はなかなかおいしかった。

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その後まずはトルコの象徴 スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)へ。1453年 それまで 4世紀から続く東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)からオスマントルコに変わり、オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された世界でもっとも美しいと評されている。モスク自体 あまり縁のないものだったので、興味津々。
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とにかくデカい。そして中にはじゅうたんがひきつめられていて、お祈りの人々がそれぞれにひれ伏している。

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その後アヤソフィアへ。
 東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会で、首都コンスタンチノーブルだったころはバチカンに対抗できる、巨大な教会だった。
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その後 オスマントルコに制圧されて、モスクになり、現在は美術館のようだ。

そして外へでたら、またじゅうたん屋の彼らに遭遇。夕食も案内するというので、またつれていってもらう。
その前についでにおじさんがやっている革製品屋へつれて行かれる。買わなくてもいいのでお茶だけ飲んでくれれば、おじさんに顔が立つのでとのことなので、お茶だけしてきた。6月のイスタンブールは暑いので、皮ジャンは必要ない。(夜は結構寒かったので需要はあるかも)

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その後新市街のヒルトンの最上階レストランへ。まさかここかと思ったが、ここは見るあけだそうだ。席にも着かず、オープンテラスからイスタンブールが一望できる絶景のビューポイント。

その後 大衆食堂で トルコ料理。
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ビジネスを離れると 面白いトルコ人。

けっこう酔っぱらって、ホテルへ
ホテルの屋上へ。
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ブルーモスクとアヤソフィアがライトアップ。

イスタンブールは 東洋と西洋の交差点。
非常に感銘を受ける。
posted by k-senda at 23:13| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 20年前の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月19日

初めての一人旅 東欧へ 1990

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昨日のセルビアvsドイツの試合(セルビア 勝利!!)を見ていて、91年のユーゴ崩壊を思い起こし、ちょうどその当時 旅していたことを記録していなかったと思い、20年たった今、blogに記録したいと思った。

20年前の今日19時30分 成田よりマレーシア航空MH093便でクアラルンプール経由のイスタンブールへ旅立った。

世の中は バブル絶頂期で、大学を出て、地元建設会社の営業をしていたが、1989年11 月9日ベルリンの壁崩壊をニュースで見て冷戦構造の終演、世界の大きな変わり目を実感した。しかし世界の大きな躍動感とは対照的に、バブルの日本では、自分たちの繁栄を謳歌するのに忙しく世界の出来事をテレビの中の出来事と感じた。
是非この現場へ行ってみたいと思い、幸いバブル絶頂期だったので、会社を退職して、バイトを3つ掛け持ちして、半年で50万くらい旅行費を貯めた。

エアチケットは確か 15万円くらいかな。もちろんサーチャージ(燃料代)はないが、まだ航空料金は今よりちょっと高かったようだ。ヨーロッパの航空会社や日本の会社のチケットはもっと高いので、安上がりな 南回りを選ぶ。もっと安いアエロフロート(モスクワの軟禁されるホテルがいやだった)やパキスタンエア(酒が飲めない)などの理由で却下。

ビザはブルガリアのビザだけ 日本で取得。

さあ いざ出発 クアラルンプールへ
タグ:過去の旅 
posted by k-senda at 18:17| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 20年前の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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