当時ライプニヒは東ドイツの第2の都市で、社会主義国。デモなんてもちろん、集会の自由も制限されていた。
本来なら許されないが、唯一 教会だけは ミサを装って集会が出来た。9月4日より ニコライ教会にて、自由を模索する動きで非暴力の「月曜デモ」が行われた。当初は 小さなデモだったが、やがて大きくなり、国家権力者も武力介入を示唆。
ちょうどこの日にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者のクルト・マズア(Kurt Masur)はコンサートを行う予定でした。昼過ぎに4ヶ月前の6月4日の天安門事件の二の舞になるのを心配して、友人であったライプチヒの党幹部、舞台俳優と、神学者を加えた6人が、死を覚悟して、市民との対話を求める平和アピールを署名入りで書き上げ、録音し街頭スピーカーで流されました。
そして 夕方 この録音を聞いて集まってきた市民 7万人。対する警察8千人。6人の死を覚悟したアピールに党本部のSED政治局員(当時)のクレンツ氏の判断によって警察不介入を決定。
ニコライ教会から市内を一周して、終止平和に教会前まで戻ってきた。
それを見た 東ドイツ各地で 平和のデモが起こり、ベルリンへとつながってゆく。
その夜 予定通り マズア指揮の下 ゲヴァントハウス管弦楽団が高らかに演奏をした。
マズアがなかったので、若き日のカラヤンですが。
その時の録音です。
* ブラームス 交響曲第2番
* R・シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
* ジークフリート・マットゥス トランペットと打楽器のための協奏曲
o クルト・マズア指揮,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管 <1989.10.9>
o 独QUERSTAND VKJK-9918 (2CD)
20年前の若かりし頃 ライプニヒの新市長舎前で撮影
僕も ベルリンの壁崩壊を期に仕事を辞め、90年夏に東ヨーロッパを中心に50日 一人旅をしました。
その後 ライプチヒは「英雄都市」と呼ばれていく。
関係ないけれど ゲバラの命日でもあるそうです。

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