2010年06月30日

20年前の一人旅J ハンガリー ブタペスト

1990年6月30日

昼頃 ブタペスト西駅に 到着、まずは駅内にある 国営旅行会社イブスへ

ハンガリーは東側だが、ウイーンよりも場所的に西あるし、ユーレールパスも使える。そんなわけで プライベートルームも安いしサービスがよいと評判だ。

午後についたので、駅の近くは なく、トラムの10番へ行き、住所を書いた紙を運転手に見せろと、イブスで言われた。

7月2日まで ブタペストを満喫する予定。

*予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月29日

20年前の一人旅I ユーゴ ベオグラード

1990年6月29日

今日は まず ハンガリーのビザの申請をしたので、それをもらいに行かなければ。

夜 22時15分の汽車でブタペストへ移動しようとしたが、 時間になっても来ない?

結局こない。しょうがないので、駅のホームで 寝袋で寝た。 ユーゴの人々も けっこうそうやって、ごろごろ 寝ていた。

今から考えると けっこう危険な ことだったが、無事でよかった。


*予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月28日

20年前の一人旅H ユーゴ ドブロブニク

1990年6月28日

ドブロブニク 2日目


午後からまた バスで ベオグラードへ。
(現在クロアチアと セルビア、ボスニア・ヘルセゴビナと分断されたため このルートはないと思う。今だったら ドブロブニクからサラエボへ行き、セルビア人バスターミナルまで行き、そこから ベオグラードへ行くことになる。98年 そのルートを使ったことがある)

夜遅く着いたが、 前より 予約してあった ユースホステルへ泊まった。


予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。 
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2010年06月27日

20年前の一人旅G ユーゴ ドブロブニク

1990年6月27日

朝 ベオグラードからのバス。起きたら なんか雰囲気が違う。
どうも乗り過ごしたようだ。

バスで20分ほど 戻ったら、ドブロブニクのバスターミナル。
有名な旧市街からは少し離れた場所にある。
バスを降りると 客引きのおばあちゃんが。
こちらはプライベートルームがあり、そのおばあちゃん 日本人と見ると 結構強引にうちへこいという。 日本人は綺麗に使ってくれるから 好きだと。
根負けして、おばあちゃんのプライベートルームへ。

予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月26日

20年前の一人旅F ユーゴ ベオグラード

1990年6月26日

朝 ソフィアから ユーゴスラビアの首都 ベオグラードへ

まずは ハンガリーのビザを取らなければ。

*予定では 20年前の今日を書いていく予定でしたが、時間もないので、とりあえず 場所だけ。後日 書き込んでいきます。
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2010年06月25日

20年前の一人旅E ブルガリア ソフィア

今晩も 夜行列車なので、朝はチェックアウトぎりぎりまで ホテルで過ごす。

花売り
<近所の屋台 花売りなど>
朝昼食は 近所の屋台で ヨーグルトとサクランボ。
サクランボをくれと言ったら、1キロくれそうになるので、多いので半分の500g もうう。 それでも一人では食べるのが大変。

その後 荷物を預けて、ふたたび 町へ。

聖ソフィア教会と無名戦士の墓
<聖ソフィア教会と無名戦士の墓>

この 6世紀の教会の名前が この都市の由来になった。

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たぶん 劇場?

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<ソファア大学>

そして適当に夕食を取り、ソフィア中央駅のソファーでくつろぎ、夜遅くのバルカンエクスプレスに乗って、一路ユーゴへ。

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<チケットの裏書き>
ブタペストまでの通しのチケットなので、その都度 裏書きされる。


その当時の状況はよく覚えていないが、やはり国境で停止して、パスポートコントロールが 2回あったようだ。

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<ユーゴスラビアのスタンプ>

当時 ビザなしで 入国できた。
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2010年06月24日

20年前の一人旅D ブルガリア ソフィア

早朝、ソフィア中央駅に到着。
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<ソフィア中央駅>
深夜に起こされたので、眠いので、とりあえず駅で旅行会社が開くまでうとうと。
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<宿泊したホテル>
駅で両替して、旅行会社で今日一泊するホテルを紹介して貰う。
たしか プライベートルームもあったようだが2泊以上でないと宿泊できないと言われた。闇両替もできなったような?

シャワー付きのシングルルーム。
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とりあえずシャワーを浴びて、近所のレストランで昼食後、ソフィア観光

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<旧共産党本部>
やはり赤い星ですね。実はこの赤い星 30キロのルビーだそうで、現在はありません。91年 ソ連がヘリで持ち去ったようです。
どのぞのマフィアに売り飛ばされたか?東欧の中で一番親ソ連だったブルガリア。
しかし1985 ソ連にゴルバチョフ書記長が誕生。1988年3月「新ベオグラード宣言」(ソ連は内政干渉しないので、各国独自の社会主義をしてよい)により、東欧革命が加速。 1989年11月9日ベルリンの壁崩壊後の1989.11.10に35年政権を握っていたジフコフ共産党書記長が辞職した。しかし大きな混乱はなく、共産党内部から 迅速に改革がおき、90年2月には共産党は自発的に一党独裁体制を放棄し、党名を「ブルガリア社会党」。その当時は知らなかったが、ちょうど自由選挙が行われた直後の訪問だった。 

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<聖ゲオルギ聖堂>
4世紀に出来たバルカン半島で最古のキリスト教聖堂

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<地面からは 屋根しか見えない聖ペトカ地下教会>

14世紀のオスマントルコ支配時に建造されたので、イスラムに遠慮して半地下なのか? ブルガリア正教の教会。その後ろに レーニン像が見える

1991年に 撤去されて、広場になったようだが、2001年にソフィア象が建ったようです。

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<左手前のビルがディミトロフ霊廟 兵士が立っている>
とくにおもしろかったのは、エバーミングされた、初代ブルガリア人民共和国大統領。ブルガリア建国の父ゲオルギ・ディミトロフ霊廟で なかには兵士が警備する中、青白いライトに照らされた、元首が斜めに横たわっていた。立ち止まってゆっくり見ることは出来なかったが、死んだ人間を防腐処理して、見せるというのは社会主義だけの方法で、神を存在させない代わりに、亡くなった指導者をそのままの姿で 祭り上げることで、見える神の演出なのだと思う。

エンバーミングは レーニンが有名で、

* ウラジーミル・レーニン(ソ連)
* ゲオルギ・ディミトロフ(ブルガリア)
* チョイバルサン(モンゴル)
* ヨシフ・スターリン(ソ連)
* クレメント・ゴットワルト(チェコスロバキア)
* ホー・チ・ミン(ベトナム)
* 毛沢東(中国)「
* アゴスティニョ・ネト(アンゴラ)
* フォーブス・バーナム(ガイアナ)
* 金日成(北朝鮮)
などが社会主義の ある意味 偶像崇拝だった。

このうち レーニン「レーニン廟」、ホー・チ・ミン「ホー・チ・ミン廟」、毛沢東毛主席紀念堂」、金日成「錦繍山記念宮殿」だけが、今も保存されている。 
防腐処理されたレーニンの遺体と、その遺体のメンテナンスの様子はこちらのサイト**グロテスクな写真あり**(

この霊廟も 91年には廃止され、蛇尾に服されたようで、霊廟も取り壊され、現在は公園になっているという。
かろうじて社会主義の遺物を見ることが出来たのは貴重だった。

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<アレキサンドル・ネフスキー記念教会>
バルカン半島最大で、5000人を収容する寺院

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<ネフスキー記念教会の内部>

夕方 暗くなって、夕食を食べにレストランへ

まあ物価が安かったので、ビートルズのカバーバンドが演奏している、レストランでブルガリア料理食べ、ビールを一人で乾杯。 

でもどうもイスタンブールでの仲間でわいわい楽しんでいた時とは違い、どこへ行くのも、食事をするのも一人。一人旅なのだから当たり前なのだが、いきなりホームシックになった。
しかも 深夜列車の揺られた夜なので、ちょっとうとうとしていると、頼んでもいないのに、コーヒーがサーブされた。
どうして?とウエイターに聞くと、あちらの方からと 4人組の男女のブルガリア人がおごってくれた。
軽くお礼を言って、持っていた折り紙で鶴を折り、女性二人に渡すと、喜んでくれて、遊びに来いという。

お互い片言の英語で意思の疎通も、あまりままならないが、うれしい出会いについて行く。

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<蛇遣いのブルガリア人のお部屋で>
動物園で 蛇の飼育係をしている男性のお部屋。
300匹以上の蛇が水槽の中にいる。

ふつうの国なら ちょっと危ないので、ついて行かないが、東欧はまだ安心な時期でした。
社会主義の場合 仕事よりも 西側の人間に興味があるので、よくつきあってくれます。
ちょうど 民主化へ向かって、外国人に興味があったようだ。

非常に寂しい思いをしたあとに、とてもすばらしい出会いで 楽しいブルガリアの思いで。
結構遅くに、ホテルまで送ってくれました。
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2010年06月23日

20年前の一人旅C イスタンブール


6/23 1990
今日はイスタンブール最終日。

朝はゆっくりして、昼食は じゅうたん屋のトルコ人が一緒に食べようというので、トルコ料理レストランへ。
いろいろあったが、彼らがいたことで初めての旅は非常に楽しく愉快な旅路で、イスタンブールは大好きな町になった。

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<グランバザール>

夕方、イスタンブール・シルケジ駅へ。
列車の中で食べる、食料とワインを買って、列車に乗り込む。

国際列車バルカンエクスプレス
イスタンブール ソフィア間は簡易寝台クシェットで、個室に4人が寝れる二段ベットになっている。一緒になったブルガリア人家族がいろいろご馳走してくれた。

暗くなってから 二段ベットの上でほろ酔い気分で熟睡。
ほどなくして、列車が止まっている。どうしたことかと思っていたが、しばらくして国境警備の係官がパスポートをチェック。トルコは出国なので、簡単にちらっとみてスタンプを押してくれる。
その後五分ほど走ったらまた停車。
今度は 駅舎のようなところへみんな行く。
その流れに従って、ついていくと、外国人は専用の窓口へ。

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<ブルガリアのビザとスタンプ>
ブルガリアのビザは日本でもらったので、それだけ確認して、すぐにスタンプを押してくれた。はじめての列車での国境通過は時間はかかったが、それなりにすんなり通過出来た。
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2010年06月22日

20年前の一人旅B イスタンブール

6月22日 1990 
イスタンブール

今日は朝からガラタ橋へ。
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フェリーに乗ってアジアへ

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イスタンブールはヨールッパとアジアの接点で、主要な地域はヨーロッパ側にあり、ボスポラス海峡を経て、アジア側はアパートが多いようだ。写真は市場 活気があった。


またフェリーで戻り、ガラタ橋の近くで、鰯のサンドイッチで昼食。
午後イスタンブール駅へ。

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ブタペストまでの列車のチケットを購入。
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いくらだったかは覚えていないが、それほど高くなったような?
チケットを見ると 120,100トルコリラのような!?

どうやら 1円が当時 15リラのようです。
だから8000円くらいかな。
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2010年06月21日

20年前の一人旅A イスタンブール

20年前の一人旅A
6月20日 早朝 クアラルンプール着
イスタンブールへは 夕方の出発なので一日観光ができる。
町中を見て 夕方空港へ。 夜のフライト。


6/21イスタンブール
やはり早朝に到着。バスで中心地まで移動。
何人か 日本人もいる。
南回りのいいところは 大概朝につく便が多い。一日あればホテルも探せると思い事前に予約はせずに、現地入りをした。
とりあえずバックパッカーのバイブル「地球の歩き方」の宿を目指していたが、バスで一緒だった日本人とブルーモスクの前に半紙をしていると、案の定トルコ人が日本語で話しかけてきた。
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「もじゃもじゃ頭のトルコ人と 一緒だった日本人旅行者と。もう一人のトルコ人が撮影」

「トルコのじゅうたんはいかが?おみやげに最適よ」と。
じゅうたんなんか眼中にないが、見るだけでいいし、お茶飲んでいけばということで、とりあえず見に行く。
トルコ人いわく トルコのじゅうたんが一番品質がよいとのこと。
でもぜんぜん興味がないので、お茶だけごちそうになり、行こうとすると、ホテルも手配してやるというので、とりあえず一緒に見に行くことに。
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質素なシングルルームだったが、屋上からブルーモスクとアヤソフィアそして後ろにはボスポラス海峡(写真のように)が見える。
値段は覚えていないが、たぶん20ドルくらいかな。トルコでは高いのだろうが、最初のホテルなので、そこで2泊することにした。

その後 お昼も一緒にとトルコ人に誘われる。もう一人の日本人が女性だったこともあり、サービスなのか?、暇なのか?、商売上手なのか?
でも一般の人が行きそうな大衆レストランでのトルコ料理はなかなかおいしかった。

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その後まずはトルコの象徴 スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)へ。1453年 それまで 4世紀から続く東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)からオスマントルコに変わり、オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された世界でもっとも美しいと評されている。モスク自体 あまり縁のないものだったので、興味津々。
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とにかくデカい。そして中にはじゅうたんがひきつめられていて、お祈りの人々がそれぞれにひれ伏している。

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その後アヤソフィアへ。
 東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、帝国第一の格式を誇る教会で、首都コンスタンチノーブルだったころはバチカンに対抗できる、巨大な教会だった。
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その後 オスマントルコに制圧されて、モスクになり、現在は美術館のようだ。

そして外へでたら、またじゅうたん屋の彼らに遭遇。夕食も案内するというので、またつれていってもらう。
その前についでにおじさんがやっている革製品屋へつれて行かれる。買わなくてもいいのでお茶だけ飲んでくれれば、おじさんに顔が立つのでとのことなので、お茶だけしてきた。6月のイスタンブールは暑いので、皮ジャンは必要ない。(夜は結構寒かったので需要はあるかも)

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その後新市街のヒルトンの最上階レストランへ。まさかここかと思ったが、ここは見るあけだそうだ。席にも着かず、オープンテラスからイスタンブールが一望できる絶景のビューポイント。

その後 大衆食堂で トルコ料理。
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ビジネスを離れると 面白いトルコ人。

けっこう酔っぱらって、ホテルへ
ホテルの屋上へ。
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ブルーモスクとアヤソフィアがライトアップ。

イスタンブールは 東洋と西洋の交差点。
非常に感銘を受ける。
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2010年06月19日

初めての一人旅 東欧へ 1990

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昨日のセルビアvsドイツの試合(セルビア 勝利!!)を見ていて、91年のユーゴ崩壊を思い起こし、ちょうどその当時 旅していたことを記録していなかったと思い、20年たった今、blogに記録したいと思った。

20年前の今日19時30分 成田よりマレーシア航空MH093便でクアラルンプール経由のイスタンブールへ旅立った。

世の中は バブル絶頂期で、大学を出て、地元建設会社の営業をしていたが、1989年11 月9日ベルリンの壁崩壊をニュースで見て冷戦構造の終演、世界の大きな変わり目を実感した。しかし世界の大きな躍動感とは対照的に、バブルの日本では、自分たちの繁栄を謳歌するのに忙しく世界の出来事をテレビの中の出来事と感じた。
是非この現場へ行ってみたいと思い、幸いバブル絶頂期だったので、会社を退職して、バイトを3つ掛け持ちして、半年で50万くらい旅行費を貯めた。

エアチケットは確か 15万円くらいかな。もちろんサーチャージ(燃料代)はないが、まだ航空料金は今よりちょっと高かったようだ。ヨーロッパの航空会社や日本の会社のチケットはもっと高いので、安上がりな 南回りを選ぶ。もっと安いアエロフロート(モスクワの軟禁されるホテルがいやだった)やパキスタンエア(酒が飲めない)などの理由で却下。

ビザはブルガリアのビザだけ 日本で取得。

さあ いざ出発 クアラルンプールへ
ラベル:過去の旅 
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指乗りアゲハチョウ

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今日 家の倉庫 に さなぎから出たばかりの アゲハチョウを発見。

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こちらが さなぎ

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指を出したら、まだ飛べなくて 指にしがみついてくれました。

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アジサイで蜜を吸うことはないと思うのですが。

1時間ほどして、羽を開いて ばたばた していたら、 飛び立ちました。

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2010年06月18日

不耕起の田んぼはカモもお好き

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本日雨の中 6日に田植えをした 田んぼへ行ってきました。

不耕起の田んぼはえさが多いのか? カモも集まっていました。

これで害虫も食べてくれて、いい感じに 稲も育つでしょうね。

楽しみですね。
ラベル:田んぼ カモ
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今晩 ドイツvsセルビアは必見!!

今晩 8時30分のドイツvs セルビア なかなか見物です。

セルビアとしては 絶対に負けたくない 相手ドイツ。

91年 ユーゴ紛争の発端となった、スロベニアとクロアチア独立宣言が 6月25日に同時に行われました。その時、ヨーロッパ共同体内の合意形成がないまま早々に両国を国家承認したのが、その当時ドイツ外相 ゲンシャーでした。
その後 どろどろのユーゴ紛争へ発展していく。

ゲンシャー外相は 統一ドイツの立役者ですが、ユーゴに関しては、罪深いなと個人的に思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC

第1戦の感じだと、ドイツが有利のようですが、セルビアも死にものぐるいで 攻めてくるでしょうね。

90年と97年にユーゴを旅した物として、見逃すわけにはいきません。

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90年のベオグラードの繁華街。

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97年のザグレブの町並み
posted by k-senda at 09:22| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

バンドゥーラ演奏 カテリーナ in開成あじさい祭り

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開成町ではあじさい祭りが行われています。
http://kaisei-ajisai.com/

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メイン会場からちょっと離れた、瀬戸屋敷<<リンク>>では、ウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者&ボーカリスト、 カテリーナがミニコンサートを披露してくれました。


バンドゥーラの響きもすばらしいが、彼女の歌も透き通っていて、聞き惚れます。
こちらで聞けます。
youtube.com


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会場の瀬戸屋敷では 「もうひとつのスーダン」内藤順司 写真展<<リンク>>が行われています。



明日の14時 フォトグラファーの内藤順司さんが トークショウを開きます。

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あじさい祭りは これから本番という感じですが、イベントとしては明日で終わり。
落ち着いてからが見頃かな!?
posted by k-senda at 18:44| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小田原・神奈川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月09日

蛍!! Glowfly

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家の周りに 蛍が...

小雨のなので あまり飛ばず、じっとしていてくれました。

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昔は 30匹くらい 飛び回っていましたが、上の山を 公園整備でごたごたしたので、少なくなりました。
posted by k-senda at 08:58| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | photo日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

機械音の無い不耕起の田んぼで田植え

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6月6日 2年前も行った創作家具 安藤和夫さんがやっている、 やまちゃん田んぼ(旧・永塚田んぼ団) の田植えに行ってきました。

ここの田んぼは 自然農の最先端である「不耕起(ふこうき)」という耕作方法で、堅い田んぼに レンゲなどが刈り取られたものをそのままにして、水を張っただけの田んぼです。トラクターとかで田起こししないから、小さな虫たちが卵を産み、害虫を食べ、自然の循環が 営まれる田んぼです。刈り取られた、草は 日光を遮断して、雑草が生えるのを防ぎます。もちろん除草剤などは一切使用しない。
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その堅い田んぼに 植えるのに、T字の杭のような道具で穴を開け、そこへ苗を入れて、浮かないように周りの土で押さえて植えていきます。

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小田原周辺の人も 多いですが、東京、川崎など遠方から来る人が多いですね。御殿場線のローカルさには困ってしまうようです(1時間に1本とかですから)
参加者も多くて、1列だけ植えただけで、あとは遊んでいました。

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子ども達も遊べるように、どろの田んぼもあり、子ども達は 泳いでいました。

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大きな子ども達も 泳いでます。

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その後 恒例の早苗振り(サナブリ 田の神様に五穀豊穣を祈願するための 宴会ですね。)
三線の演奏もあり、にぎやかでした。

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やまちゃん田んぼの責任者 やまちゃんです。

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料理がすばらしい。 玄米と野菜が自慢の無添加ランチ 移動販売Vegiko(ベジコ)がキッチンカーで 出前してくれました。
http://www.vegiko.com/

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やきいも日和さんも出張販売。
http://www.yakiimo-biyori.com/

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その他 いろいろな方々が 振る舞ってくれました。

当日の様子が 神奈川新聞のカナコロに掲載されました。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1006040033/

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2010年06月01日

パレスチナ医療協会メルマガ 各国の反応

昔お世話になった JPMA(パレスチナ医療協会)のメルマガの転送です。

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
■□ ガザ人道救援船団攻撃に対する抗議声明 □■
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

ガザ人道救援船団攻撃に対する抗議声明
   2010年6月1日

報道によると、重武装したイスラエル軍は、5月31日、地中海の公海上で、ガザ地区へ向かっていた救援船団を攻撃、乗船していた10人以上を殺し、数十人に重軽傷を負わせた。イスラエル軍は、船団を拿捕し、乗船者全員を拘留、積み荷を押収した。

これは、国家による海賊行為にも等しい犯罪行為である。

救援船団は、貨物船と客船など計6隻、ガザ地区で苦しむ人々を救うため、セメント、プレハブ住宅、浄水器、医療器材、医薬品、食料など約1万トンを積みこみ、世界各国の人道・人権活動家、政治家、ジャーナリストなど600-700人を乗せ現地に向かっていた。

ガザ地区は、長期にわたって封鎖された挙句、08年末からの「カスト・レッド作戦」で数千人の人々が死傷、多数の建物やインフラが破壊された。今も、封鎖のため、無数の人々の生活と健康が損なわれ、傷病者はまともな治療が、子どもや若者たちは満足な教育が受けられない状態が続いている。

今回の救援船団は、このようなガザ封鎖に抗議し、この地区の人々の苦しみを和らげ、希望の灯をともすために企画された。この船団を攻撃することは、非人道行為に異議を唱える世界の声に挑戦することでもある。

イスラエル軍によるこのような行為は、決して許されるものではない。パレスチナ人の医療活動を支援してきた日本パレスチナ医療協会は、この犯罪的な行為に強く抗議し、イスラエル政府に対し、以下の通り求めるものである:

■ 被害者に謝罪、人的・物的損害を補償すること
■ 速やかに、拿捕した全船舶を返却しすべての乗船者を釈放すること
■ 事件を調査し、責任者を処罰すること。
■ 国際機関による厳正な調査を受け入れること
■ 非人道的なガザ地区封鎖をただちに解除すること

以上

日本パレスチナ医療協会(代表:奈良本英佑)
Japan Palestine Medical Association (JPMA)
E-mail : jpma@keb.biglobe.ne.jp
TEL: 090-2167-4802
住所:〒272-0816 千葉県市川市本北方2−6−5


 ┏━━━━━━━┓
■□ ニュース速報 □■
┗━━━━━━━┛

ガザ沖65kmの公海上で、イスラエル海軍がガザへ向かう自由ガザ運動の船団を襲い、10人以上が死亡、負傷者多数を出した。6隻からなる船団には医療品やセメントなどガザへの支援物資1万トンが積まれていた。ノーベル賞受賞者やヨーロッパの国会議員数人を含む、50カ国、600−700人が乗船していた。
主船のマビ・マルマラ号(トルコ客船)から撮影された映像では、武装したイスラエル兵が船に乗り込み、ヘリコプターが頭上を旋回しているのが認められた。
同船に乗船していたアル・ジャジーラの記者によれば、イスラエル軍は実弾を使用した。同記者によれば、白旗が掲げられ、同乗者から実弾の発射はなかった。
同記者からの通信が途絶える前に、ヘブライ語で「全員、しゃべるな」という声がはっきり聞こえた。

各船はイギリス、アイルランド、アルジェリア、クウェート、ギリシャ、トルコから集まり、船団はキプロス沖を5月30日に出発していて、31日朝にはガザに到着の予定だった。船団はイスラエルに拿捕されたのち、31日夕刻、ガザ北方のアシュドッド港に連れ去られ、船内の捜索を受けている。

ネタニヤフ・イスラエル首相は、イスラエル兵が棍棒で打たれナイフで刺された後の自己防衛のためであったと述べた。船団の乗船者は、イスラエルが船に乗り込みながら銃を撃ってきたと語った。

エルサレムや西岸のラマッラ、ナブルス、ベツレヘム等の都市で数千人規模の抗議行動がおき、イスラエル軍と衝突した。ガザでも数千人規模の抗議行動がおきた。
テル・アビブでは数百人のイスラエル人が国防省前で抗議行動をした。船団が曳航されたアシュドッドでも抗議行動があった。
ベイルートでは10万人の抗議行動があり、パリでは数千人の抗議行動があった。
ロンドン、カイロ、マドリード、ブリュッセル、バグダッド、テヘラン等世界各地で抗議行動が起きている。


-----各界の反応-----

●イスラエル国内のパレスチナ人を代表する「イスラエ ル・アラブ市民委員会」は31日、全国でゼネストを呼びかけた。

●オバマ米大統領
6月1日にネタニヤフ・イスラエル首相と会談予定であったが、同首相がそれをキャンセルし、急遽カナダからイスラエルへ戻った。オバマ大統領は同首相に電話で、事態をしっかり把握するよう話した。

●ハニヤ首相(ガザ)
ガザと西岸で全面的なストライキに入るよう呼びかけた。
イスラエルの行為は野蛮な行為だと非難し、国連安保理、アラブ連盟、イスラム会議に緊急に会議を開くよう求めた。国連へは「カルテット」から離脱するよう求めた。
アッバス大統領へは、イスラエルとの(間接)交渉を全面的にストップするよう求めた。
ガザ政府は5月31日を「自由の日」(the freedom day)と定めた。

●アッバス大統領
3日間喪に服すことを公式に宣言した船団への攻撃は人道に対する犯罪だ。国連にこの事態に取り組むよう要求した。

●ファイヤド首相(西岸)
イスラエルは予想をはるかに越えたところへ行ってしまった。イスラエルの攻撃は、国際的誓約と規範に対する犯罪だ。

●アラブ連盟
アムル・ムサ事務局長は6月1日に本部(カイロ)で緊急会議を招集した。「テロ行為」であり犯罪だと激しく非難した。

●トルコ・スペイン・デンマーク・ギリシャ・スウェーデンは各国に駐在するイスラエル大使を召喚し、抗議した。

●トルコ
死者の多くはトルコ人と見られ、トルコとイスラエルの関係が急速に悪化している。
約1万人のデモ参加者がイスタンブールのイスラエル領事館に押し寄せた。
トルコ外相は、受け入れがたい事態だ、今後起こる事をイスラエルは覚悟せねばならないと声明を発した。

●ブラジル外相、レバノン首相、EU27カ国の在イスラエル大使、中国外相、アイルランド外相はそれぞれ、イスラエルの行為を受け入れがたいとして抗議の意を表した。

●イギリス外相
このような方法でガザへ行くことは、危険であると前から忠告していた。一方イスラエルは自制をもって、国際的制約のもとで行動することが必要なのは明らかだ。ガザへの援助物資は制約を受けず、検問所を通過させるようイスラエル政府に求める。

●ドイツ外相
事実関係に関する情報を収集していると控えめな対応

●イラン大統領
シオニスト体制による非人道的行為だ

●ヨルダン
ヨルダン外務省はイスラエル代理大使を呼んで抗議した。

●エジプト
イスラエル大使を呼び、イスラエルにガザ封鎖の解除を求めた。

●UNRWA
非生産的で受け入れがたいガザ封鎖を解除するようにという国際社会の要求にイスラエルが留意していれば、今回の悲劇はなかった。

(出典)BBC, アル・ジャジーラ、Haaretz, Ma'an news, IMEMC,
Today's Zaman(トルコWeb) ,毎日
posted by k-senda at 18:36| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ ユダヤ問題  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ガザ支援船の活動家殺害 グッシュ・シャロームのプレス・レリース

パレスチナフォーラムでイスラエルの平和団体、グッシュ・シャロームのプレス・レリース 野間伸次さんが訳してくれたものを転送します。
ユリ・アブネリさん 頑張っていますね。95年にテルアビブの自宅におじゃましたことがあります。

===================================

プレス・レリース(2010年5月31日)

ウリ・アヴネリ:今夜、イスラエル政府とイスラエル国防軍司令官の命令によって海上で犯罪が行なわれた。援助船への戦争のような攻撃と平和活動家及び人道支援活動家たちに対する致死的な銃撃、あらゆる安全許容限界線を越えた政府のみができるクレイジーな出来事だ。


「あらゆる抑制と現実へのあらゆるつながりを失ったクレイジーな政府のみが次のようなことができうる。つまり、世界中からの人道支援物資と平和活動家たちを乗せた船を敵と見なし、大部隊を公海上に送り、彼らを襲って銃撃し殺すということ。政府と軍の報道官が持ち出す嘘と言い訳を信じる者は世界に誰もいないだろう」とイスラエルの元国会議員であるグッシュ・シャローム運動のウリ・アヴネリは述べた。グッシュ・シャロームの活動家たちは他の組織の活動家たちと共に11時にテルアビヴを出発して、国際平和活動家たちが連行された拘置施設の前で抗議をする予定である。

キプロスにある船団組織者たちのスポークスウーマンであるグレタ・バーリンはグッシュ・シャロームに対して、イスラエルの奇襲隊員たちはヘリコプターで船に降り、直ちに発砲したと述べた。

今日はイスラエル国家にとって不名誉な日である。何の責任もなく引き金を引きたがる一団に将来を託したことをわれわれが気づいた不安の日である。今日は限りない不名誉と狂気と愚かさの日、イスラエル政府が世界における国の名を汚すことを好んだ日だ。加えて既に悪くなっているイスラエルの国際的なイメージに攻撃性と野蛮さという説得力のある証拠を加え、わずかに残る友人たちを失望させ遠ざけることとなった。

いかにも本日、挑発はガザの沖で起きた。しかし、挑発者たちはパレスチナ人たちによって招かれガザに行こうとしていた平和活動家たちではない。挑発はイスラエル政府の命令で動いた海軍船舶の隊員たちによって行なわれ、援助船をブロックし致死的な武力を行使した。

住民たちを大いに苦しめているガザ地区の封鎖を解除する時だ。本日、イスラエル政府は自らの手で顔につけたマスクを引き裂き、イスラエルがガザから「撤退」しなかった事実をさらした。ガザからの本当の撤退は、ガザへのアクセスを遮断したり、兵士を送ってそこへ行こうとする人々を銃撃し殺傷することと両立しない。

イスラエル国家は17年前、オスロ合意で、パレスチナ人たちが自らの経済を自由に発展させるために輸出入ができるよう、外洋航海船が寄港できるガザでの港の設立を可能にし奨励することを約束した。この約束に気づき、ガザの港を開ける時だ。アシュドッドやハイファの港のように、ガザの港が自由に邪魔されない移動のために開かれて初めて、イスラエルは本当にガザ地区から撤退したといえるだろう。それまで世界は、実際にそうだが、ガザ地区をイスラエルの占領下にあると考え、イスラエルにはそこに住む人々の運命に責任があると思いつづけるだろう。「訳:野間伸次さん」

Press Release 05/31/2010

Uri Avnery: this night a crime was perpetrated in the middle of the sea, by
order of the government of Israel and the IDF Command
A warlike attack against aid ships and deadly shooting at peace and
humanitarian aid activists
It is a crazy thing that only a government that crossed all red lines can do

"Only a crazy government that has lost all restraint and all connection to
reality could something like that - consider ships carrying humanitarian aid
and peace activists from around the world as an enemy and send massive
military force to international waters to attack them, shoot and kill.
"Noone in the world will believe the lies and excuses which the government
and army spokesmen come up with," said former Knesset member Uri Avnery of
the Gush Shalom movement. Gush Shalom activists together with activists of
other organizations are to depart at 11:00 from Tel Aviv to protest in front
of the prepared detention facility where the international peace activists
will be brought.
Greta Berlin, the spokeswoman for the flotilla organizers located in Cyprus,
told Gush Shalom activists that the Israeli commandos landed by helicopter
on the boats and immediately opened fire.

This is a day of disgrace to the State of Israel, a day of anxiety in which
we discover that our future was entrusted to a bunch of trigger-happy people
without any responsibility. This day is a day of disgrace and madness and
stupidity without limit, the day the Israeli government took care to blacken
the name of the country in the world, adding convincing evidence of
aggressiveness and brutality to Israel's already bad international image,
discouraging and distancing the few remaining friends.

Indeed, today a provocation took place off the coast of Gaza - but the
provocateurs were not the peace activists invited by the Palestinians and
seeking to reach Gaza. The provocation was carried out by Navy ships
commandos at the bidding of the Israeli government, blocking the way of the
aid boats and using deadly force.

It is time to lift the siege on the Gaza Strip, which causes severe
suffering to its residents. Today the Israeli government ripped the mask of
its face with its own hands and exposed the fact that Israel did not
"disengage" from Gaza. Real disengagement from the area does not go together
with blocking the access to it or sending soldiers to shoot and kill and
wound those who try to get there.

The State of Israel promised in the Oslo Accords 17 years ago to enable and
encourage the establishment of a deep water port in Gaza, through which
Palestinians could import and export freely to develop their economy. It's
time to realize this commitment and open the Port of Gaza. Only after the
Gaza port will be open to free and undisturbed movement, just like the
Ashdod and Haifa ports, will Israel really have disengaged from the Gaza
Strip. Until then, the world will continue - and rightly so - to consider
the Gaza Strip under Israeli occupation and the State of Israel as
responsible for the fate of the people living there.

Contact: Uri Avnery 0505-306449
Adam Keller, Gush Shalom spokesman 03-5565804 or 054-2340749
Coalition Against the Siege Yacov - 050-5733276, 09-7670801,
Sebastian -050-6846056
Greta Berlin spokeswoman for flotilla organizers
35799187275
posted by k-senda at 13:07| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | パレスチナ ユダヤ問題  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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